「本を捨てた瞬間、私はようやく自分の部屋で息ができるようになりました」そう語るのは、長年、壁一面を埋め尽くす本と共に暮らしてきた五十代の男性、Bさんです。彼の家は、いわゆる汚部屋の中でも「書庫系汚部屋」の典型で、本棚に入り切らない本が床を這い、地震が起きれば命の危険を感じるほどの山を築いていました。Bさんにとって、本は唯一の趣味であり、人生の誇りでもありましたが、ある日、自分が大切にしていた本の山が原因で、部屋の掃除も換気も満足にできず、体調を崩してしまったことが転換点となりました。彼は意を決して、長年集めてきた三千冊以上の古本を処分することを決意しました。その際、彼が選んだのは、単にゴミとして出すのではなく、専門の古本買取業者を呼んで一括査定してもらうという方法でした。査定中、Bさんは自分の人生の断片が次々と段ボールに詰め込まれていく光景を見て、一時は激しい後悔に襲われたと言います。しかし、全ての作業が終わり、本が運び出された後の空っぽの部屋に立ったとき、彼を襲ったのは後悔ではなく、これまでに経験したことのないような「空間の広がり」と「心の軽さ」でした。彼はインタビューの中で、汚部屋だった頃は、本という物質に自分のエネルギーを吸い取られていたようだったと回想しています。空間があるということは、単に物がないということではなく、そこに「新しい何か」が入り込む余地があるということです。本を処分した後、彼は部屋に一輪の花を飾り、良質なスピーカーを置きました。それまでは本の山に吸い込まれていた音が、空っぽの部屋に美しく響くのを聞いたとき、彼は本当の意味での贅沢を知ったと言います。彼は今でも本を読みますが、一度に手元に置くのは三冊までと決め、読み終えたらすぐに誰かに譲るか処分するようにしています。Bさんの体験談は、私たちがどれほど「物」という名の幻影に縛られ、自分の居住空間という最も大切な資産を犠牲にしているかを教えてくれます。汚部屋から本が消えたとき、そこに現れるのは不便さではなく、自分自身を慈しむための豊穣な空間なのです。物理的な蔵書を整理することは、自分の人生において何が本当に優先されるべきかを見極める、尊い決断に他なりません。
大量の古本を処分した男性が語る空間の価値