親が亡くなったり、介護が必要になったりして、久しぶりに帰省した子供たちが直面する「実家のゴミ屋敷化」には、高齢者特有の心理が反映された切ない「あるある」が満載です。まず、どこの家でも見られるのが「大量のギフトセットと未使用のタオル」あるあるです。死に物狂いの努力、あるいは周囲の助けやプロの介入によってゴミ屋敷から脱出した後、住人が最初に経験するあるあるは、部屋に響く「自分の声の反響」への驚きです。昭和の時代、お中元やお歳暮でいただいた高級な石鹸、洗剤、タオルなどが、いつか使うから、あるいは誰かにあげるからと大切に保管され、気づけば数十年の月日が経ってカビやホコリを被っています。高齢者にとって、これらは「高価なもの」という認識であり、使わずに取っておくことが最大の美徳だったのです。また、プラスチック容器や紙袋を「いつか何かに使う」と信じて、何百枚、何千枚と溜め込んでいるのも、実家の片付けあるあるの定番です。戦後の物不足を経験した世代にとって、物を捨てることは罪悪感そのものであり、たとえゴミに見えるものでも、そこには彼なりの生存戦略が隠されています。さらに、実家の地層の下からは、子供がかつて学校で作った工作の作品や、使い古した教科書、ランドセルが、劣悪な保存状態で発掘されることがよくあります。親にとって、それらはゴミではなく、子供たちがそばにいた幸せな時間の「証拠」です。認知機能が低下し、過去と現在の区別が曖昧になっていく中で、それらの思い出を捨てることは、自分の人生の価値を捨てることと同じ重みを持ってしまいます。子供たちが「こんなのゴミじゃないか!」と怒鳴り、親が「私のものを勝手にいじるな!」と逆上する。この実家の片付けバトルあるあるは、世代間の価値観の衝突であり、親の衰えを認められない子供の悲しみと、自分の尊厳を守ろうとする親の孤独がぶつかり合う、非常に残酷な場面でもあります。ゴミの山を取り除く作業は、親が背負ってきた重すぎる人生の荷物を、子供が代わりに引き受けるという、究極の親孝行でもあるのです。
実家の片付けで遭遇する「勿体ない精神」のゴミ屋敷あるある