特殊清掃や遺品整理の現場で、プロの作業員たちが最も頻繁に遭遇し、かつ頭を悩ませているのが、トイレが物理的に使用不可能になり、ペットボトルやコンビニの袋が「排泄物の容器」として機能してしまっているという、極限状態の「あるある」です。これはゴミ屋敷の末期症状とも言える現象で、床一面がゴミで埋まった結果、トイレのドアが開かなくなったり、配管が詰まったりしても修理を呼ぶことができず、住人が室内で用を足すようになります。ペットボトルの中に液体が充満し、それが部屋の至る所に何百本、何千本と並べられている光景は、一般の方には想像を絶するものですが、清掃現場では決して珍しいことではありません。このペットボトルあるあるの恐ろしい点は、その処理の過酷さにあります。中身を一本ずつトイレや排水口に流し、空になったボトルを分別して袋に詰める作業は、強烈な悪臭と細菌感染のリスクを伴う、精神的にも肉体的にも限界を試される重労働です。住人にとって、一度このラインを越えてしまうと、羞恥心という最後の防波堤が決壊し、人間としての尊厳が急速に失われていきます。また、ゴミ屋敷あるあるとして「冷蔵庫が腐敗のタイムカプセル化している」ことも挙げられます。数年前に賞味期限が切れた食品が、原形を留めないほどにカビや細菌に覆われ、庫内が異様な生態系を形成しています。冷凍庫の中が氷の塊となり、もはや扉が閉まらなくなっていることもよくあります。プロの作業員は、これらのあるあるを単なる汚れとしてではなく、住人がいかに極限の孤独と闘ってきたか、あるいは闘うことを諦めてしまったかという、絶望の深さを測る指標として捉えます。ゴミを片付けるということは、こうした凄惨な現実を一つひとつ丁寧に取り除き、住人の止まってしまった時間を再び動かそうとする、祈りにも似た作業なのです。あるあると呼ぶにはあまりにも過酷な現実が、そこには沈殿しています。
特殊清掃員が直面するトイレ封鎖とペットボトルの「あるある」